とらぬ狸の皮算用



もし人が、誤ったことを決していわないでいたいと固執するのなら、沈黙を守らなければならない。
                                      ハイゼンベルグ



私の興味の対象は『ダイナミックな生命現象を物理学的に扱う事』です。
そして目標は、「生物を物理学の俎上に載せる事」です。

「ダイナミックな生命現象」といっても、様々なレベルがあると思います。
(原子レベルの現象?相互作用)→細胞内→細胞間→個体内→同種個体間→異種個体間(広い意味での社会現象)
私は、このすべてのレベルに興味がありますが特に今興味を持っている2つのレベルがあります。
それは「細胞間レベルでの相互作用による現象」と「個体間の相互作用(社会現象も含む)」です。
これらのレベルをメインターゲットに、物理学・数学などの知識(量子力学・統計物理・複雑系・確率統計・制御などなど・・・)を使って
迫っていきたいと考えています。

ところで、「生命を理解する」とはどういうことなのでしょうか?
或いは、どういうことをもって「理解した」といえるのでしょうか?
これは非常に難しい問題だと思います。
これは生命に限らず、ありとあらゆる事柄について常に付きまとう問題です。
研究室同期の丸山君は、この問題について自身のプロフィール脳メモで 非常に興味深い発言をしています。

科学で何かを説明しようというとき、「科学で何かを説明するとはどういうことか」を分かっていることが重要だ。
自身の方法論に対するメタ認知が必須だということ。それがなければ、一流の科学者とは言えない。


これはまさしくその通りで、
例えばどういうことを示せば、生命について「理解した」ことになるのかという確固とした信念が必要です。

近年の分子生物学をはじめとする、生物学分野の驚異的な発展によって
我々生物は、遺伝子によって(ある程度)既定されていることがわかっています。
それでは、ある生物の遺伝子をすべて解析してしまえば(今では全然不可能ではない)、その生物を理解したことになるのでしょうか?
ところがそうではありません。むしろ、遺伝子コードがわかったところで、実はほとんど何も分かっていないのと大差ないのです。
では、膨大な数の遺伝子座をひとつひとつノックアウトして、どの遺伝子座がどんな表現系に関係しているのかをしらみつぶしに調査して
仮にその生物の遺伝子座全てについて、どのような表現系に関与しているかわかったとします。(仮にです)
そういうことができたとしたら、それでその生物を「理解した」と言えるのでしょうか?
私は、「NO」だと思います。

例えればそれは、スイッチのたくさん付いた正体不明の箱のようなものです。
このスイッチを押すと光った、このスイッチを押すと動いた、このスイッチを押すと大きくなった・・・
そうしてすべてのスイッチの挙動がわかっても、その正体不明の「箱」について、結局何も理解できていないと思うのです。

そこで必要となるのが、物理学だと私は思うのです。
従来の「かちっとした物理」だけでは不可能かもしれません。もう少し「やわらかな物理」が必要とされるでしょう。
「やわらかな物理」というのが、具体的にどういうものか私にはまだ分かりませんが
とてもやりがいがある(というかすごく興味がある)問題だと思うのです。

また私が生命現象の物理に興味を持ったきっかけの一つに、ラングトンの次の言葉があります。
"Life as it could be."
<<ありうる生命>>
これはつまり、私たちが「生命」と呼んでいる対象が
(つまり実在する、あるいは実在した生命"Life as we know it." <<我々の知っている生命>>のこと )
「生命」のすべてではないのではないか?という問いかけです。
この動機から、「生物学的(解剖学的)なアプローチだけでは片手落ちである」という思いを強く抱き
”生物学”と”生命”の間を埋める懸け橋としての物理に興味を持ったのでした。

なんにしても、「生命現象の物理学」というのはまだまだ発展途上です。(そうであってほしい!)
そして、これからの未来は必ず「生命の時代」になると思います。(医療・工学すべてひっくるめて)
そんな未来に、少しでも私の名前が残ったとすれば、これほどの喜びはないでしょう。


帆は風を孕み、お前を待っている。
             『ハムレット』より、ボローニアスの言葉


                                    2010/4/9 桜散るすずかけ台にて